「よりみち、とごし。」編集部メンバーを紹介していくインタビュー。今回は「よりみち、とごし。」アンバサダーの久保田光良さんのインタビューをお届けします。
インタビューをおこなったのは2021年12月。戸越銀座商店街の「鶏アンドデリ」さんでお話を伺いました!
戸越と共に育って
「小さな頃からずっとこの辺で育ってきました。幼稚園は戸越八幡さまの横のルンビニ幼稚園だったし、小学校は石川商店のご兄弟と同じ京陽小学校。僕の方が先輩ですけどね。その後は戸越台中学に進んで、高校は私立に進みました」
──久保田さんの子供時代は、戸越銀座はどんな街だったのでしょうか?
「洪水になってましたね、しょっちゅう。その印象がとても強いです。2国(第二京浜国道)の脇に住んでいたんですけど、そこでは昔、井戸水が出たんです。ニワトリも飼っていましたよ。でも地下鉄工事がはじまって、井戸水は出なくなっちゃった。洪水が起きなくなったのも、そういう関係があるんじゃないかな。
小学校の同級生には、親御さんが個人店を経営している子も多くいましたね。乾物屋、パン屋、本屋、煎餅屋……いろんなお店があったけど、なくなっちゃいました。寂しいですね。
僕が小学6年生くらいのときかな、Charさんが売れ出して街が活気づきましたね。姉の先生がCharさんの先生だったこともあって、親近感を持つようになりました。いまでも、商店街をふらっと歩いているのをお見かけしますよ」
「中学の頃の同級生とも、コロナ前は年に数回は集まっていました。ここ1、2年はコロナの影響で思うように集まれていませんが、それ以前は野球をみんなで見に行ったりもしていたんですよ。だいたい5、6人で集まっています。
仲の良い同僚もこの近所に住んでいて、2019年の年末にはカクヤスにお正月のお酒を買いに来たところに、ばったり会ったこともあったんです。これもなにかの縁だということで、そのあとビールを一緒に飲みました(笑)」
そして「よりみち、とごし。」へ
久保田さんは「よりみち、とごし。」アンバサダーとして、「走っていこうよ!給酔所」や「走っていこうよ!町中華」などの動画にもご出演されて、脚光を浴びています。
──久保田さんが「よりみち、とごし。」に参加されたきっかけは何だったのでしょうか。
「数年前に、石川商店さんが戸越銀座でワークショップを開かれたんですよ。それに参加したのが、そもそものきっかけです。それからコロナ禍になって、以前のようにみんなで集まれなくなっていたところに、お声がけをいただいて。それから、こうして参加するようになりました」
──「走っていこうよ!給酔所」や「走っていこうよ!町中華」での、飾らないお人柄が人気の秘訣ではないかと思います。
「給酔所や町中華の企画は、やっていて楽しいですね。走った後に飲むって、普段通りのルーティンですし……。戸越銀座のいろいろなお店を紹介できるのも、嬉しいですね」
そう、久保田さんはじつは市民ランナーとしての顔もお持ちです。これまでに様々なマラソン大会に出場されており、特に東京マラソンには4回の出場経験を誇ります。
「走った後に飲むところまでをルーティンにしている人、少なくないんじゃないかなあ。僕の周りは、そういう人が多いですね。この年末(※取材は2021年12月)も、マラソン仲間と走った後に軽く飲んで忘年会をしました。少人数とはいえひさしぶりに集まれて、嬉しかったです」
「品川区の〈しながわ健康ポイント〉にも参加しているんですが、それには”よりみちとごし”って名前で登録しています(笑)。12月は1位になったんですよ。こうやって上位に来るとやる気がでますね。
これからも、地元の品川区や戸越銀座を盛り上げるお手伝いをしていきたいです。僕が走り続けることで、元気になってくれる人がいてくれたら嬉しいです!」
この日は、「走っていこうよ!町中華」第2回の撮影も重なっており、インタビューを終えた久保田さんは軽やかに走っていかれました。
久保田さん、ありがとうございました!
これからのご活躍も応援しております!